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2010年に新しく建立された 黄金仏のお堂の博物館 の模様をご覧ください。



博物館の中ですが、写真撮影はフラッシュを使わないという条件のもとで許可されています。



まず入ると漢字で「神」書かれている祠のようなものがありました。これで支那系の寺院だとわかります。



展示物の中には、支那お得意の蝋人形で、如何に苦労して今日を築いたかが展示されています。



当初タイへ移住してきた支那人が苦労したことは理解できますが、支那人の作ったものをそのまま信じるのは?。



中には仏像や仏事に使う器なども展示されていました。





蝋人形の髪型は、満州族の弁髪のような姿もありました。清朝の弁髪の歴史を表現しているのでしょうか。





清朝は満州族の王朝ですが、タイの支那人は潮州辺りから移住して来た人たちが多いようです。





壺に絵付をしている様子です。人間がやっているように見えますが蝋人形で作られています。



支那の抗日博物館もこのように作られていると思いますが、そのまま受け入れるのは浅はかなことです。



この博物館の特徴は、支那の人々がタイに住みついてからの苦労を語る内容が多いです。



彼らのプロガバンダは支那人のDNAというべき得意技でしょう。油断はできません。



この写真は時代はわかりませんが、チャオプラヤー川の様子だと思います。昔から交通の要衝でした。





写真による展示物も多かったです。





中には華僑のお店を模した展示もありました。





この写真は中華街の入り口であるヤワラート通りです。今行ってもわかります。





昔の中華街のジオラマが展示されていました。





ジオラマを移動して撮ったところです。





今もタイ国民に敬愛されているラマ5世のお写真です。



この辺りが支那人の狡猾なところです。本来のタイ人の心の琴線を刺激することを忘れません。



この写真は支那系の寺院ですの。そこへ支那人たちが参拝している様子です。





ここはいわゆる喫茶店でしょうか。実際のところはわかりませんが、客が大勢座っています。





ショーウインドウをのぞいていますね。ここは一人で見学しましたので、詳細はわかりません。





これは学校と思われる建物の前でピンポンをしている光景です。この寺のすぐ横には学校があります。



タイではお寺に学校が併設されているところは方々で見かけられます。ワット・トライミットもそうです。



ここは金の装飾品を扱うお店です。左端には音楽隊もいます。今でも金を買うならヤワラートといわれています。



中華街のメイン通りをヤワラート通りといいまして、今でも支那人経営の金行(金を扱う店)が並んでいます。



ここはお菓子を売るお店です。中華街のお店は大きな店もありますが、間口の狭い店も多いです。





これも支那系の寺院の前の様子です。





ここははっきりわかりませんが、銀行か郵便局でしょう。はっきりしません。





これは京劇を楽しんでいるところの様子です。



今でも支那系の人たちが住むところでは、何かごとがあると京劇のスタイルで街を歩く光景をみることができます。



これは中華街のメイン通りであるヤワラート通りで、金行の看板が写っています。このお店は今もあります。





これが現在のヤワラート通りの夜景です。同じ看板が見えますね。金行の営業は支那人と思って間違いないです。



タイの政治・経済の要衝は支那人に乗っ取られました。支那人を自国に入れればこうなるのです。



タイに暮らすタイ人の家系ともいうべきものでしょうか。



タイは汚職がはびこる国柄です。支那人を入れれば、当然そうなります。支那人を国に入れてはなりません。



いろいろな支那系の先人たちの写真が展示されています。異国から来て苦労されたことは確かでしょう。





支那系タイ人の名をなし財をなした人たちでしょうか、沢山の顔写真が並びます。





お坊様から支那系タイ人の顔写真が並びます。支那系タイ人はよく働いたことは確かなことです。





ですから現在のタイの経済が東南アジアでは優等生であることは、彼らの偉業でもあります。





偉業を成した人たちの展示コーナーです。





先人たちの顔写真が並びます。





支那人はタイ人の敬愛する国王陛下や王族の展示も決して忘れたりしません。



華僑がその国に根を張るためには何をしているか、お人好しの日本人は見習う必要があります。



お坊様の写真も展示されています。



如何に華僑がその国の発展に寄与しているか、そのプロバガンダは実に見事です。日本人は実に下手ですね



右側のTV画面にはプミポン国王陛下在位60周年の記念式典の様子が流がされていました。





TV画面はアナンタサマコム宮殿前の広場に黄色い服を着て祝意を表するタイの人たちの様子です。





この写真はヤワラート通りの入り口のワット・トライミットのすぐ横のロータリーにある中華門です。



プミポン国王陛下72歳の時のお祝に建てられたものです。春節のお祝には王族がここを訪れます。



これも中華街の様子です。タイの政治経済の要人たちの出身地でもあります。



中華街の様子は ”バンコクの春節” をご覧ください。



この辺りの展示は写真が多いです。





このコーナーには京劇の衣装をつけた人たちの写真が展示されていました。





この写真は中華街の屋台で食事を摂る人たちの様子です。タイはどこへ行っても屋台が店を出しています。





ここも写真の展示です。





ここには豪華な白馬の一対が展示されていました。





ここではタイ語の説明書きがありました。





ここからはワット・トライミットの黄金物の展示となります。





ワット・トライミットの黄金仏は戦争で奪われないようにと、漆喰で覆われていました。





この展示の意味は私にはわかりませんでした。





廃寺となっていた寺から仏像をワット・トライミットへ運ぶことが決まりました。





仏像の移動工事の途中でスコールがやってきて、工事が中断されました。



そのスコールによって漆喰が割れて、中から黄金仏が出てきたのです。工事関係者の驚きはいかばかりだったでしょうか。



その漆喰に覆われていた時の仏像の顔写真です。今の黄金物とは全くことなるお顔つきでした。





タイの友人が外で待っていましたので、内容を読む暇はありませんでした。





5.5トンの黄金物を水路を使って運ぶところの様子です。バンコク市内は水路が幾つもあります。





水路から陸へ上げられた黄金仏を陸路で運ぶ光景です。





黄金仏とどのような関係にある寺かはわかりません。現在のワット・トライミット境内にはこのような建物はありません





黄金仏とわかったのは1953年ですから、移動の様子に乗用車が写っていても不思議ではありません。





これもどういうものかはわかりません。





黄金仏は新しいお堂が建つ前はこの写真の建物内に安置されていました。そして漆喰に覆われていた時のお姿です。





黄金仏のアップのお顔です。黄金仏という先入観で見る関係か、輝きは他の仏像とは異なります。





1956年の重大新聞の様子が展示されていました。





このように、ワット・トライミットの5.5トンの黄金仏には嘘みたいな歴史があるのです。





館内にあった仏教壁画です。タイのお寺には壁画で飾られた寺が沢山あります。





仏教壁画のアップです。タイでは象は縁起のいい動物とされています。





これも仏教壁画の一部です。





これも急いで館内をみましたので、内容は不明です。大理石かも知れません。





これもはっきりしませんが、工事に使われた滑車とロープのようです。



上記の写真を位置を変えて撮影したものです。





いろいろな仏像も飾られていました。





この博物館のお土産を売っているところです。タイのお坊様がいらっしゃいました。





お土産の品々ですが、仏像はいかなる物も海外へ持ち出すことはできませんので、買わない方がいいです。



どうしても持ち出したい場合には政府美術局の許可が必要ですが、旅行期間にその許可が得られるかは疑問です。



バンコクの中華街の入り口の横にあるワット・トライミットの新設なった博物館の様子をご覧いただきました。



続けて パヤタイ駅 をご覧ください。